シェムリアップの町 |
功徳を積むため小鳥を買って逃がすという商売。何か納得できん |
こんな感じのバイクタクシーを1日チャーターし、遺跡を回る。公認のバイクしか出来ないので定額料金 | 昔の人はよくこんなものを作ったものだ。暑いので遺跡群を1日ですべてを回るのはきつい。 |
有名なアンコールワット。こういう遺跡ではるか昔を連想するのもいいものだ。 | 急な階段、上るのは良いが下りは急勾配でこわい |
遺跡内にある。食堂 | シェムリアップから国境の町ポイペトへ向かう道。舗装もされていない。車のラジエターに石が当たり、中の水すべてが流れてしまう。途中何回も止まり、田んぼの水を入れてなんとか近くの町にたどり着いたが水も持っていなかった為、炎天下のなか一時はどうなることかと思った。道の途中すぐ脇で地雷撤去作業をやっていた。 |
シェムリアップ.Takeo近くの食堂ここの飯は安くておいしかった。 | 国境付近(ポイペト) |
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カンボジアを訪れたのは2006年1月11日~1月23日。シェムリアップとプノンペンに行く予定だったが、相方が熱をだしてしまい。シェムリアップのみの滞在となった。タイと比べると貧しい国だと感じる。1日だけアンコールワットをはじめとする遺跡群の観光をした。シェムリアップは思っていたより治安も悪くなかった。 |
シェムリアップの屋台で飯を食べていると松葉杖をついた片足の小学生位の子供が物乞いにくる。もうとっくに内戦も終わったはずでは、と思ったのだが未だにカンボジアには600万個という膨大な数のの地雷が埋められているらしい。そして今も毎年、何百人かの貧しい人が犠牲になっているのだ。地雷は人を殺さないよう作られている。戦略上、手足を吹き飛ばす位の威力に作られ、精神的打撃と負傷者が出た場合の救援作業により戦力を落とすことに目的がおかれているのである。これは死ぬまで長期にわたって苦痛を強いられることになるのである。シェムリアップからポイペトへ向かう国道の脇で、地雷撤去をする集団を見たが、手作業で行っているのだ。皆、防護服などは着ていなくて農作業のような服を着ている。金属探知機で探り、草を刈り、少しずつ堀っていく。かなりの危険を伴った作業である。現状ではそんな地道な作業をするしかないのである。道の脇には広範囲にわたってかなりの数の地雷があることを示す看板がたっていた。地雷撤去には気の遠くなるほどの労力と時間がかかる。しかもカンボジアは地雷撤去に多額のお金をかけられるほど豊かな国とはいえない。そんなことを考えると落ち込んでしまう。 |